撮影日:2020年10月6日
長野県と群馬県の県境が境内の中央を通る全国的にも珍しい神社です。長野県側を熊野皇大神社と言い、群馬県側を熊野神社と言い、日本三大熊野の一つとされています。碓氷峠の頂上、標高1,200mに位置し、古くから軽井沢の氏神として地域に親しまれています。樹齢1,000年の御神木・しなの木は強力なパワースポットとして人気があり、県外から訪れる人が後をたちません。
本宮
伊邪那美命(イザナギノミコト) 諸神の産みの神・祖先神
日本武尊(ヤマトタケルノミコト) 本神社の創設者
那智宮
事解男命(コトサカノオノミコト) 人生難題解決の神 *長野県側に鎮座
新宮
速玉男命(ハヤタマノオノミコト) 心の健康の守護神 *群馬県側に鎮座
熊野皇大神社の由緒・歴史
当神社に伝わる由緒記や古事記、日本書紀に夜と創建は景行天皇40年(西暦110年)10月。約1900年前にさかのぼる。日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が碓氷峠を通りかかると先が見えぬほどの深い霧に覆われた。その時、梛(ナギ)の葉を落としながら先導する一羽の八咫烏(ヤタガラス)に遭遇。後をついて行くと無事に登頂できたという。
その昔、先祖の神武天皇を熊野国(和歌山)から大和国(奈良)へと導いたのも八咫烏だったことから、日本武尊は今回の登頂も熊野神霊の御加護によるものと心より感謝し、熊野三社を祀ったと伝えられている。(熊野皇大神社パンフレット)
「しな」という言葉の語源は「結ぶ・くくる・しばる」と言われており、開運・縁結びのパワーを感じられる御神木として親しまれています。しなの木の太い胴体には、なんとハート型の空洞があり、太陽光が入る時間にはクッキリとその形が見えます。縁起の良い光景を拝めることも人気につながっているのかもしれません。
また御神木の根と接しているとされる「根石」が置かれています。触ることで力を得られると記載されていました。
境内入り口の石で出来た鳥居です。何年前くらいに建設されたものでしょうか。平日にも関わらず小さな駐車場はほぼ満車状態。中年のご夫婦やシニアの方、大学生くらいの若者も参拝に来ていました。
境内に入るとまず目に飛び込んでくるのが地面の「長野県」と「群馬県」の境目の石の標識。
室町時代から鎮座する狛犬とのことです。苔が良い感じです。
室町時代中頃の作と伝えられる。長い胴と一見して「なまず」に似た顔付きが太古の風格を持ち、参拝者の心を和ませる。(熊野皇大神社パンフレット)
少々急な階段を登っていきます。
随身門には立派な「熊野皇大神」の刻印がされた木彫看板が掲げられていました。
「石の風車」が随身門の脇に置かれています。
江戸時代(元禄元年:1688年)中山道往来の人々が石の風車と見て親しみ「碓氷峠のあの風車誰を待つやらくるくると」と追分節に唄われた。実は神社石段を建造した佐藤平八郎、市右衛門氏の「二世安楽」を願って次代の佐藤市右衛門が佐藤家の紋章(源氏軍)を刻み奉納したもの。(熊野皇大神社パンフレット)
大きなイチイの木も随身門の脇に立っています。
中央より左側が長野県のため熊野皇大神社、右側が群馬県のため熊野神社。八咫烏に関わる小さな社もあり、「サッカーの守神」として訪れる人も多いようです。
奥宮につながる参道が御神木の脇にあります。
山の中の獣道のような参道を歩いていきます。
奥宮です。とても小さな社ですが、自然の素朴さと純粋性を感じる場所でした。「奥宮まで10分位」と表示がありましたが、大人の足だと5分くらいで行けます。
参道のそばの古びた倒木には天然のきのこがそこかしこから生えていました。
神社を出ると創業300年の「元祖力餅しげのや」があります。見晴しの良い席が用意されており、晴天時は妙義山、浅間山、筑波山、高崎市、前橋市が一望できるようです。私達が訪れた時は残念ながらガスがかかっており、視界は不明瞭でした。
軽井沢碓氷峠 熊野皇大神社
住 所:長野県北佐久郡軽井沢町峠町1
電話番号:(熊野皇大神社)0267-42-5749 (熊野神社)0267-42-3490
アクセス:(車)上信越自動車道「碓氷軽井沢I.C.」より車で約35分。※路線バスあり。
THE KOKONOEから車で約1時間50分(約96km)。
医⼯学修⼠。信州⼤学⼤学院博⼠課程(社会⼈研究⽣)に在籍し、⼟壌微⽣物のゲノム解析を通じて⽣物多様性と共⽣のメカニズムを研究。
民泊とファーマーズレストランでは過ごす⼈の⼼と⾝体の両⾯からパワーチャージできる空間づくりに⼒を⼊れている。花⾖・エディブルフラワー・⼭野草・ハーブ年間約120種を有機栽培。
⾳叉美容トリートメントSound Luxuryを実施。土づくりアドバイザー。