日本の食育の祖といわれる石塚左玄。
福井県生まれで、明治時代に活躍した医師・薬剤師・軍医を務めた人物です。
栄養学がまだ学問として確立されていない時代に食物と心身の関係を理論にし、医食同源としての食養を提唱しました。
玄米・食養の元祖であり、彼の活動がのちに弟子たち(桜沢如一、久司道夫)によってマクロビオティックとして世界に広められるようになります。
明治天皇からも認められた存在であり、天皇家の献立に食養が取り入れられ、国立栄養研究所の設立に石塚左玄の活動が一役買ったと言われています。
1. 食本主義
心身の病気の原因は食にある。人の心を清浄にするには血液を清浄に、血液を清浄にするのは食物を清浄にすること。医食同源を唱えた。
2. 人類穀物動物論
人間の歯は穀物を噛む臼歯が多いことから、人類は穀食の動物であると唱えた。
3. 身土不二
土地と人は切り離せないという仏教用語。その土地の自然環境に適した食事を摂ること。
「民族の伝統的食習慣を軽々しく変えるべきではない。地方に先祖代々伝わってきた食生活にはそれぞれ意味があり、その土地の食生活に学ぶべきである。」と説き、現代の「地産地消運動」の元になったとされている。
4. 陰陽調和
当時の栄養学では軽視されていたナトリウム(陽性)とカリウム(陰性)のバランスを考えて食べること。現代食は、肉食や動物性食品が多く、ナトリウム過多(陽性過多)であり、野菜不足や精白した米やパンのようにカリウム不足が生じている。このようなナトリウムとカリウムのバランスが崩れることが病気の原因になるため、陰陽調和(中庸)の食事を勧めている。
5. 一物全体
一つの食材を丸ごと食べることで陰陽調和が保たれる。皮ごと、葉や根も調理に使う。特に、米は白米ではなく、糠ごと玄米で摂取することの重要性を説いた。
明治時代の深刻な病であった脚気。2万人以上もの人々が命を落としました。
特に、日本陸軍は深刻で、4000人以上も脚気で亡くなり、その後も解決策がなく、脚気で亡くなり続けたそうです。
当時であった明治に、肉食が解禁され、洋食・麦食(パン)が栄養があると軍隊で信じられていたようです。
その頃すでに石塚左玄は玄米食を提唱しており、鈴木梅太郎という農学者によって、玄米には脚気に有効な成分が入っていることが発表されます。
当初は玄米食が受け入れがたかったようですが、陸軍の食事が徐々に麦飯や分づき米に変わったことで脚気の死亡者が減少しました。
「学童を持つ人は、躰育も智育も才育もすべて食育にあると考えるべきである。」
(体育智育才育は即ち食育なり)幼い頃はカリウムの多い食事をとることで体と智を養成し、思慮や忍耐力・根気を養う。
社会人に近づくにつれ、ナトリウムの多い食事にしていくことで才と力を養成するが、ナトリウム過多になれば、命だけでなく身も知恵も短くなる。
バランスが崩れないよう、中庸を保つ食育を勧めた。
また、石塚左玄が残した明治の食育の考え方は、現代では食育基本法の礎になったとも言われています。
食育基本法の前文には、
・子どもたちが豊かな人間性をはぐくみ、生きる力を身に付けていくためには、何よりも「食」が重要である。今、改めて、食育を、生きる上での基本であって、知育、徳育及び体育の基礎となるべきものと位置付ける。
・様々な経験を通じて「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てる食育を推進することが求められている
(食育基本法 平成17年7月施行)
と記載があります。
石塚左玄の本質をついた食の考え方は、時間を超えて受け継がれていくことの象徴ではないでしょうか。
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筑波⼤学卒業後、外資系メーカーにてプロダクトマネージメント業務に10年以上携わる。料理学校へ転職を機に、講師業を⾏う。2016年に⾧野県戸隠に移住し、化学農薬や化学肥料に頼らない農業を夫婦で実践。旬の野菜中⼼で滋味あふれる⾷事をTHE KOKONOEで提供。世界の発酵食・長野の郷土食を美味しく頂きながら研鑽に励む。